考古展示室がリニューアルして、1ヵ月ほどたちました。
その間に多くのお客様に新しい展示室をご覧いただき、感謝の気持ちでいっぱいです。
さて、前回に引き続き、私も古墳時代の展示を紹介していきます。
古墳時代の展示エリア(下図の青の部分)にも、壁付のケースのほかに、個々に独立したケースが配置されています。
これらケースは、個別テーマをとりあげたテーマ展示です。
今回はこのテーマ展示についてご紹介します。
まずは、古墳時代のスタートすぐのところに8つの覗きケースが皆様をお待ちしています。
これらケースは、1ケースで1テーマとなっています。
オープニングでは「紀年銘鏡と伝世鏡」・「舶載鏡と倭鏡」・「玉生産の展開」・「さまざまな宝器」・「古墳時代の農工具」・「武装の変革」・「古墳時代の祭祀」・「古墳時代の葬送儀礼」の8つのテーマを設けました。
なかでもおススメなのは、「玉生産の展開」にある和泉黄金塚古墳の玉(ぎょく)です。
展示している碧玉勾玉・碧玉異形管玉・水晶切子玉は日本列島最大級! の大きさで、たいへん見ごたえがあります。
このほか「紀年銘鏡と伝世鏡」もおススメです。
日本列島の古墳出土品には、中国の元号をもつ紀年銘鏡が青龍三年(235)から赤烏七年(244)の10年間に12面あります。
そのうちの5面がなんとこのケースに入っているのです!
(左)「玉生産の展開」の展示風景
(右)重要文化財 水晶切子玉 大阪府・和泉黄金塚古墳出土 古墳時代・4~5世紀
「紀年銘鏡と伝世鏡」に展示されている紀年銘鏡の一部
(左)重要文化財 画文帯同向式神獣鏡 大阪府・和泉黄金塚古墳出土 古墳時代・4世紀〔景初三年(239)在銘〕
(右)重要文化財 三角縁同向式神獣鏡 群馬県・蟹沢古墳出土 古墳時代・4世紀〔正始元年(240)在銘〕 五十嵐勘衛氏・根岸森三郎氏寄贈
これらテーマ展示ですが、半年ごとの展示替でケースまるごと、もしくは部分的に作品を入れ替えしています。
例えば、「武装の変革」ですと現在は鉄矛(ほこ)や鉄戟(げき)を展示して、4世紀から6世紀にかけての攻撃用武器の変遷をご覧いただけます。
来年度以降、このケースは馬具や剣など武装にかかわるテーマで展示替をおこなう予定ですので、新鮮な気持ちでご観覧いただけると思います。
(左)「武装の変革」の展示風景
(右)鉄戟 奈良県宇陀市榛原上井足出土 古墳時代・5世紀
次にご覧いただきたいのは、「新沢千塚126号墳」の一括品を集めました展示ケースです。
金・銀製品や各種の玉は、朝鮮半島の新羅王陵との出土品と同様の高い水準で作られており、ガラス製品は西アジア起源です。
これら国際色豊かな作品は、細かなつくりをしているものが多いのが特徴です。
今回、すべてのケースでリニューアル前よりも照明を工夫し、ケースには低反射の加工をしました。
そのため新沢千塚126号墳の作品のように細かなつくりのものであっても、細部までよく観察することができるようになりました。
新沢千塚126号墳出土品の展示
(左)重要文化財 金製螺旋状耳飾(展示は右側のみ) 古墳時代・5世紀
(右)重要文化財 ガラス碗 古墳時代・5世紀
ところで、新沢千塚126号墳の作品がリニューアル前に入っていたのは、展示室奥を大きく2つに仕切る細長い弯曲したケースでした。
今回のリニューアルではこのケースを江戸時代の展示に再利用することで取り除き、展示室奥の古墳時代は大きなひとつの空間となりました。
そして、この開放的な空間にパワーアップした埴輪の展示台を新しくつくり、およそ4~5世紀の埴輪の展示台(「埴輪と古墳祭祀」)と6世紀の埴輪の展示台(「形象埴輪の展開」)とが、1ヵ所に連なることでリニューアル前よりダイナミックな展示になりました。
これまでの埴輪の展示台は、ある一定の角度からしか埴輪をご覧いただけませんでしたが、今回は360どの角度からでも埴輪を観察することができます。
これらの埴輪も定期的に一部展示替をしています。
ある日気づいたら、埴輪がかわっていた! ということもありますので何度もお越しいただき、お気に入りの埴輪をみつけてください。
ちなみに、私が気に入っている埴輪は、愛らしい笑顔につつまれた「鍬(くわ)を担ぐ男子」です。
ギャラリートークでは解説を通じて、リニューアルした埴輪展示の魅力をご紹介する予定です。
リニューアルによりパワーアップした埴輪の展示
埴輪 鍬を担ぐ男子 群馬県伊勢崎市下触出土 古墳時代・6世紀
チャームポイントは笑顔です!
さて、今回リニューアル前と大きくかわった点として、わずか2件の作品のために特別室をあつらえたことが挙げられます。
その作品とは、熊本県・江田船山古墳出土の国宝「銀象嵌銘大刀(ぎんぞうがんめいたち)」と福岡県・岩戸山古墳出土の重要文化財「石人(せきじん)」です。
銀象嵌銘大刀とは、文字が普及していない古墳時代当時としてはめずらしい長文の銘文をもち、その内容が5世紀の政治・社会や世界観をつたえるもので日本古代史上の第一級資料といえます。
そして、よくご覧いただくとこの大刀には水鳥や魚・馬も描かれていますので、ぜひ展示室で確かめてみてください。
国宝 銀象嵌銘大刀の銘文(部分)
大刀に象嵌された魚・水鳥・馬
また、石人は「リニューアル前と後とでずいぶんと変わった!」 、「良くなった!」と、とくに好評をいただいています。
今まではオモテ面しかご覧いただけませんでしたが、展示方法を工夫することで、360どの角度からでもご覧いただけるようになりました。
実はオモテ面だけみると男の武人のようですが、ウラ面は靫(ゆき)という矢をいれる武具を表現しています。
つまり武具に男の顔と刀をつけているのです! ぜひお越しの際にはウラ面にもまわってご覧ください。
重要文化財 石人のオモテ面(左)とウラ面(右)
今回リニューアルして、前よりも見やすく、そしてさまざまな角度から展示をご覧いただけるようになりました。
そして定期的に展示替をおこなっていますので、何回訪れても飽きることなく、その都度新たな発見が待っています。
皆様のご来館をお待ちしています。
考古展示室、見どころガイド(古墳時代2)
考古展示室、見どころガイド(飛鳥~江戸時代)
ほほーい! ぼくトーハクくん!
今日は、リニューアルした考古展示室の、飛鳥時代から江戸時代までの見どころを教えてもらえるって聞いたんだほ。よく来たね、トーハクくん。
あ、井出さん!
飛鳥時代から江戸時代の展示は、ぼくが担当しているんだよ。
江戸時代も考古学・・・? ぼくのイメージとちがうんだほ。
考古学っていうと、縄文時代とか古墳時代のイメージが強いかもしれないけど、そもとも、モノによって過去の人類の活動を研究する学問が考古学なんだ。だから、時代の古い・新しいは関係ないんだよ。
ほー!
ほら、ぼくが担当した展示、見ていってよ!
今回のリニューアルで、実は飛鳥時代から江戸時代の展示(下図の黄色・ピンクの部分)が一番大きく変わったんだ。
どこがどう変わったんだほ?
広報大使なのにわからないの? 残念だなぁ(ため息)。
・・・!?
今までは陶磁が展示の中心だったんだけど、実はトーハクは仏教考古の作品も充実しているんだ。
リニューアルを機に、せっかくだから館のコレクションをいかした展示にしよう! ということで、展示作品や展示方法を見直したんだよ。ほー。
ちっともわかっていないでしょ。たとえば、瓦の展示を見てごらん。
あれ? なんだか屋根っぽい?
そうそう! 瓦の葺き方がイメージできるように展示を工夫したんだ。
しかも、この瓦みたいに平成館考古展示室で初めて展示される作品もあるよ。
蓮華文方形軒丸瓦
滋賀・南滋賀廃寺跡出土 飛鳥時代・7世紀
(左)緑釉唐草文軒平瓦 (右)緑釉単弁蓮華文軒丸瓦
京都・平安宮跡出土 平安時代・8~12世紀初公開! それは大注目だほ!!
でしょう?
あとは・・・平安時代の「祈りのかたち―山岳信仰と末法思想―」は、リニューアルを機に新しく設けた展示なんだ。奈良と日光の作品がいっぱいだほ。
トーハクくんの言うとおり! この展示は、奈良県の大峯山頂遺跡出土資料と栃木県の日光男体山頂遺跡出土資料で構成されているんだよ。
どちらも、日本独自に生み出された山岳信仰の一端を示す、貴重な資料だね。あ、このかわいい像は次世代アイドル候補! ぼくのライバルだほ。
重要美術品 押出蔵王権現像
奈良県・大峯山頂遺跡出土 平安時代・10~12世紀いいでしょー、この宙を浮いているみたいな展示。
なんだか誇らしげだほ。
この展示方法もこだわったポイントだからね。展示台に寝かせて展示するよりも、お客様の目を引くと思うんだ。
押出蔵王権現像は愛されているんだほ。
それはもちろん、せっかくのリニューアルだし、どの作品もその良さがわかるように展示したいと思っているからね。
こっちの「中世のあの世とこの世」で展示している板碑もそうだよ。
これが井出さんイチオシとうわさの板碑の展示なんだほ。
そう、まさにイチオシだよ!
板碑は、こうやって垂直に立てた状態で使われたものなのに、今までは展示レイアウトの都合で、立てた状態での展示ができなかったんだ。
それにね、こんなに充実した板碑のコレクションがあるのに、お客様に見ていただけないのがもったいなくて。これでようやく、たくさんの人に見てもらえるんだほ!
おっと、「見てもらえる」で思い出した。江戸時代の展示コーナーの後ろ側にも注目だよ。
「江戸から掘り出されたモノ」の展示コーナーの・・・
向かって左側の「慶長大判」の角を曲がると・・・
実はまだ展示があります!
徳利
東京国立博物館構内出土 江戸時代・18~19世紀こ、こんなところにも展示があったほ?!
そうだよ。ここに展示される作品は、なんとトーハク出土品なんだ。これからもトーハクゆかりの作品を展示していく予定だよ。ぜひお見逃しなく!
どこも工夫がいっぱいで楽しかったほ。井出さん、今日はありがほーございました。
旧石器時代~弥生時代編、古墳時代編(1)、古墳時代編(2)とあわせて、これで旧石器時代から江戸時代まで展示室の見どころを紹介したからね、トーハクくんは広報大使としてますます励むように!
ほー!
展示担当者のさまざまなこだわりを知り、広報大使として気持ちを引き締めたトーハクくんなのでした
特別展「始皇帝と大兵馬俑」10万人達成!
特別展「始皇帝と大兵馬俑」(2015年10月27日(火)~ 2016年2月21日(日)、平成館)は、11月20日(金)に10万人目のお客様をお迎えしました。
ご来場いただいた皆様に、心より御礼申し上げます。
10万人目のお客様は、千葉県市川市よりお越しの福嶋亜紀子さん。
お母様の白石美智子さんと一緒に、ご来館くださいました。
福嶋さんには、東京国立博物館 学芸研究部長 谷豊信より、記念品として特別展図録や展覧会オリジナルグッズなどを贈呈しました。
特別展「始皇帝と大兵馬俑」10万人セレモニー
左から学芸研究部長の谷豊信、福嶋亜紀子さん、白石美智子さん
11月20日(金) 平成館ラウンジにて
『キングダム』記念撮影コーナー
福嶋さんのだんな様はマンガ『キングダム』の大ファンでいらっしゃるとか。
今後はご夫婦でもご来館ください!
兵馬俑が「等身大」だなんてすごいと思います、という福嶋さん。
「特に馬丁俑(ばていよう)が気になります。兵馬俑は立っているイメージあるのに、正座しているなんて! それに像になる人は身分のある人というイメージもあったのですが、馬飼いも像になっちゃうんですね」と、展覧会への興味を語ってくださいました。
特別展「始皇帝と大兵馬俑」は2016年2月21日(日)まで。
年内は12月23日(水・祝)まで、年始は1月2日(土)から開館します。
皆様のご来館を心よりお待ちしております。
特別展「生誕150年 黒田清輝─日本近代絵画の巨匠」報道発表会
来春、トーハクでは、特別展「生誕150年 黒田清輝─日本近代絵画の巨匠」(2016年3月23日(水)~5月15日(日))を開催します!
開催に先立ち、11月17日(火)に報道発表会を行いました。
本展覧会担当研究員・松嶋雅人より「展覧会趣旨」の説明を、東京文化財研究所・山梨絵美子より「黒田清輝、その人と作品について」解説いたしました。
(左)当館 松嶋研究員、(右)東京文化財研究所 山梨企画情報部部長
皆さんは「黒田清輝」と聞いて、どの作品を思い浮かべますか?
やはり有名な「湖畔」でしょうか。
重要文化財湖畔 黒田清輝 1897年(明治30) 東京国立博物館蔵
切手や教科書で親しまれています
日本近代洋画の巨匠と呼ばれており、日本の美術界に偉大な功績を残した黒田ですが、その人生は意外にも葛藤に満ちています。封建的な明治の日本社会で、世界に認められる洋画を目指すことは、並大抵のことではありませんでした。
今回の総作品数は約240件(黒田作品200件以上)!
当館の所蔵品に加え、国内外27箇所の機関および個人の方からご出品いただく作品が、トーハクに集まります。
黒田清輝の初期から晩年までの作品を通して、黒田が歩んだ苦闘の道のりを感じていただけることでしょう。
(左)木かげ 黒田清輝 1898年(明治31) 公益財団法人ウッドワン美術館蔵
(右)野辺 黒田清輝 1907年(明治40) ポーラ美術館蔵
さて、本展の見どころはそれだけではありません!
黒田が学んだ同時代のフランス絵画を展示。黒田作品のルーツをたどります。
羊飼いの少女 ジャン=フランソワ・ミレー 1863年頃 オルセー美術館蔵
RMN-Grand Palais (musée d'Orsay)/Michel Urtado/distributed by AMF
オルセー美術館より特別出品!
フロレアル(花月) ラファエル・コラン 1886年 オルセー美術館蔵(アラス美術館寄託)
RMN-Grand Palais (musée d'Orsay)/Hervé Lewandowski/distributed by AMF
黒田の師、コランの代表作
報道発表会では、本展ゲストキュレーター東京大学・三浦篤教授に説明していただきました。
東京大学 三浦教授
三浦教授の「日本における黒田ではなく、世界における黒田を見直す良い機会」という言葉が印象的でした。
他にも、日本の近代洋画の展示など、まさに黒田清輝生誕150年にふさわしい展覧会です!
観終わった後、あなたの黒田清輝像が変わるかも・・・。
黒田清輝ポートレート
特別展「生誕150年 黒田清輝─日本近代絵画の巨匠」、どうぞお楽しみに!
特集「東洋の白磁―白をもとめ、白を生かす」企画のきっかけについて
前回のブログでは、中国の白磁の起源とも呼ぶべき、6世紀の鉛釉陶と白磁について紹介いたしました。今回は、この特集のきっかけとなった作品についてお話したいと思います。
中国文学者 竹内実の文章のなかに、清水安三著『支那の心』を引いて
「(中国人の思想には)持続への依拠と尊重が根底にある」
とあります(『中国の思想』、1967年)。
この「持続」という言葉を思い出すたび、単純ながら、私は昨年の特別展「台北 國立故宮博物院―神品至宝―」において出品された「永楽年製」銘のある白磁雲龍文高足杯を思い浮かべます。
白磁雲龍文高足杯 明・永楽年間(1403~1424) 景徳鎮窯 台北國立故宮博物院蔵
平成館の展示室に設けられた壁付きのケースは、基本的に書画を見せるためのもので、ガラスの大きさやケースの奥行は残念ながら工芸作品の展示には適していません。果たしてケースのなかでこれほど小さな酒杯は映えるだろうか、展示するまでとても心配でした。
しかし、白磁雲龍文高足杯はケースの大きさを忘れるほど、キラキラと光輝いていました。展示にあたった台北故宮 器物処の余佩瑾副処長も満足そう、そして一緒に展覧会を作ったスタッフも「宝石みたい」とため息をついたほどです。
この作品は、脱胎、つまり胎土があるかどうかわからないほど薄く、口縁はまるで紙のようです。それでありながら、白玉のような柔らかさがあります。このような白磁は「甜白」と評されました。さらに、その薄い素地に雲龍文を刻むとはまさに「神業」。
中国史上、もっとも栄えた時代といわれる15世紀初頭、明の永楽帝のころに至って、景徳鎮窯の白磁は玉にも優る究極の美しさを手に入れました。そしてこの時期の白磁をひとつの見本として、その後の皇帝たちは国を挙げて写しを作らせるようになり、頂点を極めた技術はさらに「持続」していくのです。
白磁雲龍文高足杯を見たとき、中国の陶工たちはこのうつわを目指して数千年もの長いあいだひたすらにやきものを作り続けてきたのだということに私は深く感動しました。残念ながら当館の中国陶磁コレクションには永楽の白磁はありませんが、この白磁雲龍文高足杯が今回の特集を企画するきっかけの一つとなりました。
今回の展示では中国において白いやきものがどのように発生し、展開したのか、そしてベトナム、朝鮮、日本の周辺地域において白磁生産はそれぞれどのような違いを見せているのか、というところにもふれています。
そのなかでもう一つ、私がお伝えしたかったことは、日本陶磁の面白さです。
昨秋、本館特別5室にて開催された日中韓国立博物館合同企画特別展「東アジアの華 陶磁名品展」では、小規模ながら中国・韓国・日本の陶磁器の名品が国別に時代を追って展示されました。
中国や朝鮮半島における陶磁器の歴史は、大きく言えば、硬質磁器の白磁を目指して展開してきたものです。それぞれの歩んだ道には違いがありますが、行き着くところは皇帝、権力者の愛した真っ白な磁器でした。作品を時代順に展示していくと、胎土や釉が次第に精製されていく様子をそれぞれにみることができました。悠久の時間を感じながら、発展の流れを追うのは、通史的展示の醍醐味です。
しかし、日本の陶磁史の面白さは16世紀から17世紀にかけて、さまざまな特徴をそなえたやきものの生産が一気に開花したところにあるのではないでしょうか。「陶磁名品展」でも、真っ黒なうつわであったり、ごつごつした土の肌を残していたり、釉を幾何学的に掛け分けたり、上絵付けで専門絵師の手かと思わせる精緻な図を配したり・・・と、とにかくバラエティに富んだ作品がならびました。
ここで注目したいのは、白い素地に下絵付けをして、白濁した長石釉を掛けて焼きあげた志野のうつわ。日本でいち早く本格的に下絵付けで装飾を行なった志野には、白い素地を活かしてさまざまな装飾技法が生まれました。
鼠志野秋草図額皿 美濃 安土桃山~江戸時代・16~17世紀 個人蔵
「陶磁名品展」では文化庁より重要文化財の鼠志野草花図鉢をお借りしました。現在、東洋館5室でも鼠志野の優品を展示しています。素地に鬼板とよばれる鉄を含んだ土を掛け、草花文を掻き落としてあらわし、釉を掛けて焼きあげたもので、文様を反転させたこの技法も、白い素地を持つ志野ならではのものです
このような名品は権力者や、その近くにあった茶人が手にしたものですが、当時、美濃や信楽、伊賀、備前、唐津などの各地で作られた賑やかなうつわが、京・大坂・堺をはじめとする都市を中心に大量に流通したのです。その背景には、茶の湯が町衆のあいだにも広く浸透したことが挙げられますが、中国や朝鮮半島との違いは、町衆と呼ばれる人々が力をつけて、経済や文化を大きく動かすというこの時代の日本社会独特の構造にあると言えるかもしれません。
日本には日常を豊かに彩るやきものがたくさんあります。それぞれ個性的で、見ても使ってもとても楽しいものです。東京国立博物館の陶磁器コレクションを通して、やきものの魅力にふれていただきたいと思います。
特集「東洋の白磁―白をもとめ、白を生かす」(東洋館5室、2015年12月23日(水・祝)まで)
ボランティアデーと平成28年度からのボランティア募集のお知らせ
12月5日(土)と12月6日(日)に、東博ボランティアデーを開催します。
トーハクでボランティアにお会いになったことはありますか?
総勢約160名のボランティアが曜日ごとにわかれて、月曜日以外、毎日館内で活動しています。
本館の展示室の入り口や平成館への連絡通路の手前などで、今日のおすすめの展示をお知らせしたり、体験コーナーでサポートをしたり、腕章をつけたボランティアが皆様をお迎えしています。
イベントやワークショップ、スクールプログラムや盲学校対応、保存修復活動のお手伝いもしています。
また、全部で16のガイドツアーなどのグループがあります。
たてもの散歩ツアー(左)と刀剣ツアー(右)の様子
東博ボランティアデーの2日間は、ボランティア活動をぎゅっと凝縮しています。
ボランティアによるすべてのガイドツアーも、この2日間に体験することができます。
それぞれのボランティアグループが、いつもとは一味違う特別なガイドのコースを用意したり、衣装や小物を手作りしたりと、現在準備を重ねているところです。
今回特におすすめなのは、休館中の法隆寺宝物館から出て、法隆寺宝物に関連した作品を東洋館でご案内するツアーや、リニューアルした考古展示室をご案内するツアーなど。また、庭園公開の時期に合わせて、紅葉した庭園をご案内する樹木ツアーや庭園茶室ツアーで、秋のトーハクを満喫していただければと思います。
*一部、事前申込制や定員制もあります
また、ボランティアに興味を持っている方のために、この二日間だけ、「活動紹介ツアー」を行います。普段、館内でどのようなボランティア活動を行っているのか、ツアー形式でご案内します。お客様との対応の仕方や、ボランティア活動のやりがいなど、直接現役ボランティアとお話しするチャンスです。
あわせて、平成28年度から活動されるボランティアを募集するにあたり、「募集説明会」も開催します。
昨年の活動紹介ツアーと募集説明会の様子
12月最初の土日、丸1日ゆっくり博物館でお過ごしいただき、興味のあるツアーに参加したり、ボランティアとのおしゃべりを楽しんでみたりしてはいかがでしょうか?
現在、平成28年度から3年間活動するボランティアを募集しています(応募は12月10日(木)より受付)。
募集案内はこちらをお読みの上、2016年1月14日(木)までに郵送でお送りください。お待ちしております。
「一遍聖絵」にみる一遍と律宗の関係
こんにちは、保存修復室の瀬谷愛です。
特集「一遍と歩く 一遍聖絵にみる聖地と信仰」(~12月13日(日)、本館特別1・2室)は会期後半になり、一ヶ所だけ絵巻の巻き替えを行ないました。
安心してください、国宝聖絵はそのままですよ!
巻き替えたのは、「一遍聖絵」(模本)巻第12。一遍往生の場面になりました。涅槃図を意識した構成が印象的です。
会期前半は、11月7日(土)月例講演会で神奈川県立歴史博物館の薄井館長が肖像彫刻のお話をされたこともあり、巻末の一遍像の場面を出していました。
薄井館長によれば、この場面に描かれるお像は、一遍終焉の地である兵庫の観音堂(現・真光寺)にかつてあったお像ではないか、とのことです。真光寺のお像は昭和20年(1945)3月の神戸大空襲で焼失してしまい、今はモノクロ写真が1枚残るのみ。文化財にとって、火事は本当に恐ろしいものです。
平成25(2013)年8月には、一遍生誕の地とされる松山・道後温泉の宝厳寺のお像も、焼失してしまいました。文明7年(1475)銘のある貴重な基準作だったのです。
(詳しくは、「国宝 一遍聖絵」展覧会図録209ページに薄井館長のコラムが掲載されています。)
いま、宝厳寺は新しいお堂の建設真っ最中。
地元の方たちが、宝厳寺の再建資金を募る「もういっぺんプロジェクト」を立ち上げています。一遍をイメージした起き上がりこぼしがかわいらしいですね。会津の起き上がりこぼしに似ています。
愛媛は一遍のふるさとですから、聖絵に登場する重要な聖地もあります。
例えば、山岳霊場である菅生岩屋(四国八十八ヶ所第45番霊場)。
右に見える岩屋へ通じるはしご。簡単そうに見えて、かなりの難関です。恐怖心を抑えて昇りきると、自分の殻が一枚脱げたような気になるのですから不思議なものです。一遍も同じような気持ちになったでしょうか。
また、芸予諸島・大三島にある大山祇神社は、一遍の出自である伊予の豪族河野氏の氏社です。聖絵では、壇ノ浦の戦いで活躍した一遍の祖父河野通信が厚く信仰したことが語られています。
境内には、一遍が寄進したと伝えられる石造の宝篋印塔が3基あります。
この塔は文保2年(1318)に念心という人が寄進したことが銘文からわかるので、実際には一遍没後に制作されたものなのですが、この念心という人は西大寺系律宗に関連する石工だったことが指摘されています。
聖絵によれば、一遍は大三島で神官と地頭に「殺生禁戒」を誓わせたといいます。
一遍の布教スタイルといえば、(1)遊行、(2)踊り念仏、(3)賦算(念仏札配り)ですが、法然が唱えたような専修念仏からは少し離れ、仏教の戒律も重視していたようです。そう思ってみると聖絵には全編にわたり戒律や釈迦(舎利)を重んじる場面が見出せます。
最も重要な熊野の場面。一遍をインスパイアしたのは、戒律を重視する律僧でした。
他にも例を挙げればきりがありません。こういったところから聖絵の制作には、実は律宗への意識が大きく働いていると私は考えています。一遍や聖戒は律宗と深いつながりがあり、そこから聖絵制作のパトロンとなった上流貴族たちへとつながっていったのではないでしょうか。
この説については、去る11月15日(日)に遊行寺宝物館・神奈川県立歴史博物館・神奈川県立金沢文庫主催(会場:東京国立博物館平成館大講堂)で行なわれた記念シンポジウム「一遍聖絵の全貌」で研究報告をしました。
五味文彦先生(放送大学/東京大学)他、歴史、美術史、芸能史、建築史など様々な分野の先生方のご講演、研究報告をまとめたシンポジウムの成果は、来年度、高志書院より書籍化される予定です。
11月19日(木)から始まった神奈川県立金沢文庫での「国宝 一遍聖絵」展覧会図録に掲載されている大塚紀弘先生(法政大学専任講師)のコラム「一遍聖絵に描かれた律僧」によれば、往生が近い一遍と観音堂(現・真光寺)で最後の法談を行なった「光明福寺住持」も律僧であろうとのことです。
一遍の悟りを引き出し、またその最後をみとったのも律僧であるというのは、聖絵の制作環境を考える上でとても示唆的です。
関連事業
ギャラリートーク「一遍とみる聖地と信仰」 2015年12月1日(火) 14:00~14:30 本館 特別2室
4館共同一遍聖絵スタンプラリー「一遍と歩こう」(神奈川県立歴史博物館のウェブサイトへリンクします)
トーハクくんがいく! 「始皇帝と大兵馬俑」
ほほーい! ぼくトーハクくん。
特別展「始皇帝と大兵馬俑」が大人気と聞いて、見に来たほ。担当研究員の川村さんが案内してくれるんだほ。こんにちは、トーハクくん。
あ、川村さん! 話題の展覧会、楽しみだほー!。
ところで…へいばようって何だほ?
トーハクくん、その質問は早すぎるよ。兵馬俑を知るには、まずは始皇帝を知ることから始めないと。
しこうてい…?
兵馬俑を作った人だよ。字のとおり、最初の皇帝なんだ。
最初の皇帝! すごそうな人だほ。
そりゃあもう! 中国で初めて天下を統一した人で、世界史上の有名人だよ!!
い、いきなりスイッチが入ったほ。目がキラキラ…。
よーし、じゃあ展示作品から始皇帝について説明しようか。この「両詔権(りょうしょうけん)」を見てごらん。
両詔権
秦時代・前3世紀 秦始皇帝陵博物院蔵単なる金属のかたまりだほ。
いやあ…(汗)。これは現在でいう分銅のようなもので、重さの基準として、全国に配られたものだよ。
…?
つまりね、始皇帝が天下を統一するまでは国によって重さの単位がバラバラだったんだ。他にも体積や長さ、貨幣なんかもバラバラだったんだけど、それを統一したのが始皇帝。
天下を統一しただけじゃないんだほ。
そう! 単に領土をひとつにまとめただけじゃなくて、ハードもソフトもってところが、始皇帝のすごいところなんだよ!!
またスイッチが入ったほ! 目がキラキラだほ。
そもそも、天下統一なんて誰も成し遂げたことがなかったんだ。そこで、始皇帝は考えたんだよ。「今まで国で一番偉かったのは“王”だけど、自分は王よりもスゴイことを成し遂げた。だから、自分には王を超える称号が必要だ」
それが「皇帝」?
そのとおり! 「皇帝」という言葉は始皇帝がつくり出したんだよ。
両詔権の銘文にも「始皇帝」という言葉が見えます。
展示室でご確認ください!
(C) 陝西省文物局・陝西省文物交流中心・秦始皇帝陵博物院知らなかったほ。
20世紀の清王朝の「ラストエンペラー」、宣統帝・溥儀(ふぎ)まで、皇帝の称号は続くんだ。
ほー。
始皇帝は、その後の中国に絶大なインパクトを与えた人物なんだよ。
そんなにすごい人なら、住んでいたところもすごかったほ?
全体像はわかっていないんだけど、恐らくは規模の大きな、贅を尽くした宮殿に住んでいたと考えられているね。
これが、始皇帝の宮殿址から出土したものだよ。
取水口・L字形水道管・水道管
戦国~秦時代・前3世紀 咸陽宮殿址出土
秦咸陽宮遺址博物館蔵水道管なんてあったほ?
そうだよ、排水設備が整っていたということだね。
瓦も出土しているから、宮殿は瓦葺きの建物だったはずなんだけど、当時、瓦は贅沢品だったんだ。きっと立派な宮殿だったんだほ~。
ここまでわかると、お墓だってすごいんだろうなって思わない?
ほー!
そこで、兵馬俑なんだよ!
(左)将軍俑 秦始皇帝陵1号兵馬俑坑出土
(右)跪射俑 秦始皇帝陵2号兵馬俑坑出土
(C) 陝西省文物局・陝西省文物交流中心・秦始皇帝陵博物院
雑技俑
秦始皇帝陵K9901坑出土
すべて秦時代・前3世紀、秦始皇帝陵博物院蔵兵馬俑センパイ!!
そうだね、兵馬俑は紀元前3世紀、日本でいうと弥生時代のものだから、トーハクくんよりも、ざっと700年くらいセンパイだね。
1体1体、じっくりつぶさに見ていって欲しいな。みんな違う顔やポーズをしているんだほ!
そのとおり! 今回は、軍馬を含めて10体の兵馬俑を展示しているけど、顔のない1体を除いて、みんな顔が違うでしょう? 兵馬俑は未発掘のものも含めて、全部で8000体ほどあると考えられているんだけど、やはり全て顔が違うんだ。
8000体、全部が違うんだほ?
ほぼ間違いなく。
ほー!
兵馬俑は実在の軍団をモデルに作られ、服装や髪型など、1体1体忠実に再現されていると考えられているんだ。
この写実性、本当に素晴らしいよね!!なんで始皇帝は、こんなにリアルに作ったんだほ?
実は始皇帝…「仙人」になりたかったんだ。
仙人?!
つまり不老不死の存在だね。でも、もしかしたら仙人になる前に死んでしまうかもしれない。そこで、たとえ死んでしまったとしても、せめて霊魂だけは永遠に存在したい、と思ったんじゃないかな。
永遠に?
そこで、自分の霊魂がとどまるための世界として、始皇帝は自分の暮らしていた宮殿内外の施設のコピーを造り、お墓としたんだ。
兵馬俑もその一部だよ。宮殿をコピー?
そうなんだ。兵馬俑は都や宮殿を守っていた軍団のコピーだし、ほら、兵馬俑の他にこんなものも見つかっているよ。
(左)1号銅車馬 (右)2号銅車馬
秦時代・前3世紀 秦始皇帝陵銅車馬坑出土
秦始皇帝陵博物院蔵
(C) 陝西省文物局・陝西省文物交流中心・秦始皇帝陵博物院馬車だほ。
馬も御者も車輪の部品も手綱も、みんな青銅で作られているんだけど、とてもリアルでしょう?
細かいところもリアルだほ!
この銅車馬は生前の始皇帝が乗っていた馬車の模型だと考えられているんだ。
こんなふうに、始皇帝は自分のまわりの世界を忠実にコピーしていったんだね。……。(←もはや言葉が出てこないトーハクくんです)
始皇帝のお墓の広さは56平方キロメートルと言われているけど、世界のコピーを造ろうなんて、やることが常人とはかけ離れているよね。
そんなこと、とても思いつかないんだほ。
恐らく「霊魂が皇帝として永遠にとどまるためには、皇帝を頂点とした新しい秩序そのままの完璧なコピーじゃないとダメなんだ! 」と、始皇帝は考えたんじゃないかな。それくらい徹底した写実性、徹底して忠実にコピーしている。
とってもとってもスケールの大きな話なんだほ!
お墓の概念を超えるスケールだよね。お墓に人形などを副葬する習慣は、始皇帝の前の時代にも後の時代にも見られるけど、始皇帝のお墓は規格外。まさに空前絶後だよ!!
いやはや、始皇帝はすごい人ってことがよーくわかったほ。
それなら良かったよ。始皇帝が徹底してこだわった「写実性」を実際にご覧いただき、多くの人に始皇帝のすごさを感じていただけるとうれしいな。
川村さん、今日はありがほーございました。
始皇帝のスケールにも、始皇帝について語る川村研究員にも、圧倒されっぱなしのトーハクくんなのでした
※会場内に記念撮影コーナーを設置しています。
特集「顔真卿と唐時代の書」の見どころ(1)
東洋館8室では、先週より特集「顔真卿と唐時代の書」(2016年1月31日(日)まで)が始まりました。
本展は毎年ご好評をいただいている台東区立書道博物館との連携企画、第13弾です。
本展の舞台となるのは、今から1000年以上も前の中国です。618年~907年、およそ300年もの間長きにわたって繁栄し、世界的にも有数の国威を誇った唐王朝。この時代の書は、王羲之(おうぎし)が活躍した東晋(317~420)の書とともに、歴史上もっとも高い水準に到達しました。
当代に花開いた様々な書をご覧いただくうえで、本展では7つのテーマを設定しました。今回は各テーマとその見どころについて簡単にご紹介したいと思います。

東京国立博物館 東洋館8室 出品件数28件
前期:2015年12月1日(火)~23日(水・祝)
後期:2016年1月2日(土)~31日(日)

台東区立書道博物館 出品件数77件
前期:2015年12月1日(火)~27日(日)
後期:2016年1月5日(火)~31日(日)
(左)東洋館8室。壁付ケースには、本展の主役・顔真卿や初唐の三大家たちの書が刻まれた石碑の全形拓本が並び、あたかも碑林にいるかのような気分になります。
(右)台東区立書道博物館。独立ケースでは、様々な唐時代の書の拓本や肉筆の作品が間近で見られます。紙の質感や墨色の違いなど、作品の細部まで堪能できます。
1.隋から唐へ ※台東区立書道博物館のみの展示
本展の導入として、唐の前代、隋 (581~618)の書がどのような字姿であったのかをご覧いただきます。
300年余り分裂が続いた南北朝時代(439~589)の書は、婉麗な南朝、寒険な北朝というように、双方で異なる書きぶりを見せていましたが、当代の末頃から南北統一を果たした隋の時代、そして初唐(618~712)にかけて、これらの書風は次第に融合し、洗練されていくこととなります。
短命王朝ながら、墓誌や典籍などの制作が盛行し、隋時代には楷書の名品が数多く残されます。そのなかから、刻石資料の拓本や法帖中の能書・智永の書を中心に、初唐の楷書に繋がる整斉とした隋様式の書をご紹介します。
(左)蘇慈墓誌銘 隋時代・仁寿3年(603) 台東区立書道博物館蔵(中村不折コレクション)
台東区立書道博物館で12月27日(日)まで展示
(右)美人董氏墓誌銘 隋時代・開皇17年(597) 台東区立書道博物館蔵(中村不折コレクション)
台東区立書道博物館で1月5日(火)~31日(日)展示
2.初唐の三大家
洗練された隋様式の書を承けて、楷書の表現を極致にまで昇華させたのが、初唐の三大家と呼ばれる欧陽詢(おうようじゅん、557~641)・虞世南(ぐせいなん、558~638)・褚遂良(ちょすいりょう、596~658)でした。
欧陽詢と虞世南はともに南朝・陳で生を受け、壮年を隋で晩年を初唐で過しましたが、欧陽の書は北派、虞の書は南派といった具合に対称的な趣を具えつつ、極度に洗練された造形美を表しました。彼らより2世代ほど後に生まれた褚遂良は、両者の書法を吸収して晩年には更に筆使いに変化を加えて、隋様式から完全に脱却した新風の楷書を確立しました。
通史的に見ても楷書表現の極致と言える、三者による絶世の字姿をご覧いただきます。
(左)九成宮醴泉銘―天下第一本― 欧陽詢筆 唐時代・貞観6年(632) 三井記念美術館蔵
台東区立書道博物館で12月27日(日)まで展示
(右)雁塔聖教序 褚遂良筆 唐時代・永徽4年(653) 東京国立博物館蔵(高島菊次郎氏寄贈)
東洋館8室で1月31日(日)まで展示
3.皇帝の王羲之・王献之崇拝 ※台東区立書道博物館のみの展示
唐王朝を築いた歴代の皇帝たちは、当代の書法にも多大な影響を与えました。
なかでも二代皇帝の太宗(在位626~649)は、初唐の三大家をはじめとする臣下を登用して、書を重視した政策制度を施行するとともに、溺愛した王羲之の書跡を国家的な規模で収集・鑑定・摸写させたことにより、楷書表現の発展と王羲之書法の尊尚を強く促しました。当代に王羲之の書を集めて制作された諸々の集王碑は、王書尊尚の風潮を伝えます。
集王碑や後世制作された王羲之・王献之の法帖・摸本に加え、太宗や高宗(在位649~683)、則天武后(在位690~705)、あるいは玄宗(在位712~756)など、書を善くした皇帝たちが自ら石碑にとどめた字姿から、書の歴史に残された皇帝の壮大な事跡を窺いたいと思います。
(左)晋祠銘 唐太宗筆 唐時代・貞観20年(646) 台東区立書道博物館蔵(中村不折コレクション)
台東区立書道博物館で1月31日(日)まで展示
(右)集王聖教序―李春湖本― 王羲之筆 唐時代・咸亨3年(672) 三井記念美術館蔵
台東区立書道博物館で1月5日(火)~31日(日)展示
4.唐時代の肉筆
唐時代の字姿を伝えるのは、拓本や摸本だけではありません。20世紀初頭に敦煌莫高窟の第17窟・蔵経洞から発見されたいわゆる「敦煌文献」や伝世の写本類には、唐人の手になる肉筆の書もみられます。
たとえば宮廷で制作された写本のうち、高宗の咸亨2年~儀鳳2年(671~677)のごく短い期間に書写された「長安宮廷写経」と呼ばれる一群は、字姿のみならず紙墨といった材料に至るまで、あらゆる点で最高の質を誇ります。また、民間における写本のなかには、初唐の三大家に似た端正な字姿もみられ、三大家の書風が広範に浸透していたことも窺えます。
無名の筆者が残した生の筆跡から、当時の水準の高さとともに、唐人の息づかいをも感じていただければと思います。
(左)妙法蓮華経巻第二 唐時代・上元2年(675) 三井記念美術館蔵
東洋館8室で12月23日(水・祝)まで展示
(右)国宝 世説新書巻第六残巻―規箴・捷悟― 唐時代・7世紀 京都国立博物館蔵
台東区立書道博物館で1月5日(火)~31日(日)展示
5.盛唐書法の展開
初唐の後半から唐王朝が最盛期を迎える盛唐(713~766)の前半にかけて、初唐の三大家の楷書表現や王書尊尚の風潮を承けた書が展開しました。
たとえば、前者には父の欧陽詢の書法を継承した欧陽通(おうようとう、?~691)や、褚遂良の書法を追随した薛稷(せつしょく、649~713)・魏栖梧(ぎせいご)などによる楷書がみられ、後者には王羲之の書法を基盤とした孫過庭(そんかてい、646?~690?)の草書や李邕(りよう、678~747)の行書があります。
彼らの書を通して、初唐に形成された書の潮流が展開していく様子をご覧いただきます。
(左)重要文化財 信行禅師碑 薛稷筆 唐時代・神龍2年(706) 大谷大学博物館蔵
東洋館8室で12月23日(水・祝)まで展示
(右)書譜―天津本― 孫過庭筆 唐時代・垂拱3年(687) 台東区立書道博物館蔵(中村不折コレクション)
台東区立書道博物館で1月31日(日)まで展示
6.顔真卿―1230年の栄光―
顔真卿(がんしんけい、709~785)は安禄山の反乱に義軍を起こして唐王朝の危機を救い、李希烈の反乱に際しては命をもって忠義を貫きます。忠臣烈士として知られ、悲憤の最期から今年で1230年を迎える顔真卿は、書においてもその才を発揮しました。
「蚕頭燕尾(さんとうえんび)」と呼ばれる独特の筆使いなどを駆使して幅広い表現を見せる楷書と、筆画に情感を盛り込んだ行草書は、唐時代の書のなかでもひときわ異彩を放ちます。顔真卿の書は、宋時代以降にその人格が加味されて評価が高まり、王羲之と双璧をなすまでに至りました。
顔書の多彩な字姿に加えて、中唐(766~835)以降の楷書の優品から、初唐以来の書の潮流が変容を遂げていく様子を窺いたいと思います。
(左)千福寺多宝塔碑 顔真卿筆 唐時代・天宝11載(752) 東京国立博物館蔵(高島菊次郎氏寄贈)
東洋館8室で1月31日(日)まで展示
(右)麻姑仙壇記―大字本― 顔真卿筆 唐時代・大暦6年(771) 台東区立書道博物館蔵(中村不折コレクション)
台東区立書道博物館で1月31日(日)まで展示
7.篆書・隷書の復活と狂草の流行 ※台東区立書道博物館のみの展示
盛唐以降には、篆隷と狂草という復古的、革新的な書法が興りました。
玄宗が好んで用いた豊麗な造形の隷書は、多くの者が追随するところとなり、「唐隷」という風尚を形成します。また、秦時代の李斯とともに「二李」と並称される李陽冰(りようひょう)の書法は、篆書表現の規範として後世長きにわたって尊尚されました。一方、同時期に流行した狂草、つまり酒で精神を高揚させ奔放に揮毫するという狂逸的な草書は、現存する作品が僅少で不明な点も多いのですが、常軌を逸した様々な逸話が伝えられ「張顚素狂(ちょうてんそきょう)」と併称される張旭(ちょうきょく)と懐素(かいそ、725?~785?)をその代表格とします。
従来の表現からおよそ逸脱したこれらの書を通して、唐一代の好尚の変化をご覧いただければと思います。
(左)三墳記 李陽冰筆 唐時代・大暦2年(767) 台東区立書道博物館蔵(中村不折コレクション)
台東区立書道博物館で1月31日(日)まで展示
(右)自叙帖―水鏡堂本― 懐素筆 唐時代・大暦12年(777) 台東区立書道博物館蔵(中村不折コレクション)
台東区立書道博物館で1月31日(日)まで展示
唐王朝300年の書は、時勢に従いつつ高度で多彩な表現様式が展開し、尽きせぬ魅力があります。
東博と書道博、両館の展示を併せてご覧いただき、より多くの字姿から唐時代の書をご堪能いただければ幸いです。

図録
『顔真卿と唐時代の書―顔真卿没後一二三〇年―』
価格:800円(税込)
東博ミュージアムショップ、書道博受付にて販売中
関連事業
【東京国立博物館】
・連携講演会「顔真卿と唐時代の書 ものがたり」
2016年1月16日(土) 13:30~15:00 平成館大講堂
【台東区立書道博物館】
・ギャラリートーク「顔真卿と唐時代の書」
・ワークショップ「美しい楷書に挑戦!」
詳細は台東区立書道博物館ウェブサイトへ

特別展「始皇帝と大兵馬俑」 20万人達成!
特別展「始皇帝と大兵馬俑」(2015年10月27日(火)~ 2016年2月21日(日)、平成館)は、12月11日(金)に20万人目のお客様をお迎えしました。
ご来場いただいた皆様に、心より御礼申し上げます。
20万人目のお客様は、埼玉県越谷市よりお越しの深町幸子さん。
深町さんには、東京国立博物館長 銭谷眞美より、記念品として特別展図録や展覧会の特設ショップで人気のチョコレートなどを贈呈しました。
特別展「始皇帝と大兵馬俑」20万人セレモニー
深町幸子さん(右から2番目)と館長の銭谷眞美(右端)
12月11日(金) 東京国立博物館 平成館エントランスにて
長年のママ友だというお2人(写真左・右。中央は深町さん)と一緒にご来館いただきました
深町さんは夏の「クレオパトラとエジプトの王妃展」にもご来館され、その時に本展の告知をご覧になったそうです。
重ねてのご来館、誠にありがとうございます。
「兵馬俑の精緻な作りをじっくり見たいと思っています。細かいだけじゃなく、兵馬俑は1体1体顔が違うとも聞いています。そんなすごいものを、始皇帝はよく作ったなと感心してしまいます」と語る深町さん。
兵馬俑坑の迫力を体感したいと、特にレプリカによる再現展示を楽しみにされていました。
兵馬俑の展示室では、時おり、お客様の小さな歓声や感嘆のため息が聞こえます。
兵馬俑の精緻さを、兵馬俑坑の迫力を、ぜひこの機会にお楽しみください。
皆様のご来館を心よりお待ち申し上げております。
トーハクくんがいく!~ミュージアムショップで埴輪グッズ探し~
ほほーい! ぼくトーハクくん!
今日は、考古展示室リニューアルを記念して、本館にあるミュージアムショップを見に来たほ。
ショップにはたくさんの埴輪グッズがあるんだほ。
ぼくのグッズもあるんだほ(ニヤリ)。
まずは、埴輪のペーパークラフトだほ。
考古展示室リニューアルを記念して発売された、ミュージアムショップのニューフェイスだほ。
紙宝 埴輪 踊る人々[大]・[小](写真左から2番・3番目) 各864円
※埴輪により値段が異なります。432円~1080円
トーハクで人気の埴輪が勢ぞろい!
特に「踊る人々」には親近感がわくんだほ。
型を切り抜いて説明書どおりに組み立てていくだけなんだけど…これが意外と難しいほ。
おとなの人でも楽しめるはずなんだほ。
キッズにおすすめなのはこれ!
はにわぬりえ 378円
全部で8体の埴輪が登場するんだほ。
どんな色にぬってもらえるか、楽しみなんだほー!
日常に埴輪を取り入れるのに、ぴったりのグッズもあるほ。
はにわバッグ(S) 570円
はにわ箸ケース(箸つき) 951円
はにわ弁当箱 1620円
※トーハクくんは販売していません
埴輪のイラストがプリントされている、埴輪好きオーラのあふれるグッズだほ。
これで、埴輪と一緒にランチタイムが過ごせるんだほ!
ちょっとリッチ路線を狙うなら、こんなグッズもあるんだほ。
はにわいんグラス(青) 9720円
はにわ…ワイン…はにわいん!(ぷっ)
グラスの持ち手部分が埴輪の形をしている、シャレのきいた商品だほ。
他に赤色9720円と、透明5400円もあるほ。
埴輪好きなお姉さんたちには、アクセサリーがオススメだほ。
左:はにわリング 9720円
右:はにわペンダント 7020円
ユリノキちゃんも、こういうキラキラしたものが大好きなんだほ。
ぼくも着けさせてもらったほー。
さりげなく埴輪好きをアピールできるほ。
定番グッズもはずせないほ。
てぬぐい 埴輪 各972円
てぬぐいの柄はたくさんあるけど、やっぱり埴輪柄がぼくのいちばんのお気に入りだほ。
「踊る人々」とか「犬」とか、トーハクのいろいろな埴輪が登場するんだほ。
定番の次は、いま売れに売れているグッズを紹介するほ。
ずばり!
写真奥:はにわソックス 各432円(23~25cm)
写真手前:こはにわソックス 各400円(11~13cm)
トーハクくんも「こはにわソックス」をはいてみました
カラフルでかわいいのが、人気の理由だほ。
どっちも、オレンジ・茶・ミドリ・赤の4種類。
どれを買うか迷うほ。全色欲しいほ!
最初は「はにわソックス」だけだったけど、人気のあまり「こはにわソックス」も作られたんだほ。
埴輪オシャレは足元から…だほ。
最後にぼくのグッズも忘れないでほ~。
トーハクくんのはにわクッキー(4枚入り) 378円
ココアとプレーンが2枚ずつ入っているほ。
やさしい味のクッキーだほ。
ぼくの大好物だほ! 実はぼくのポシェットの中にはクッキーが入ってるほ。
みんなも食べてねー。
他にもステーショナリーいろいろもあるほ。
トーハクくんを取り囲んでいるのは「マスコット ユリノキちゃん」1080円
「ユリノキちゃんに囲まれて、し、幸せだほ…(汗)」
ノート216円、クリアファイル270円などなど、デスクまわりがにぎやかになるほ!
考古展示室を見た後は、ミュージアムショップの埴輪グッズをチェックするっていうのが、ぼくのオススメする埴輪ゴールデンコースだほ。
みなさん、ショップにもぜひお立ち寄りくださいだほー!
独占取材!兵馬俑展ができるまで!(事前調査編)
大好評開催中の特別展「始皇帝と大兵馬俑」!
会期も残すところ、半分!
今回は、「兵馬俑展ができるまで!(事前調査編)」と題し、
2015年1月下旬に中国・陝西省で行われた事前調査を中心に、
特別展開催にあたって研究員がどんな仕事をしているのか、その一部をご紹介します。
展示の前に行われる様々な調査や作業。裏側を知れば、さらに展覧会が面白くなるはずだほ!
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さて、ここからは調査隊員の日誌から、その様子をみていきますが、
その前に。
事前調査隊の隊長をご紹介しましょう。
特別展開催にあたっては、館内で部署をまたいだW・G(ワーキンググループ)が組織されます。
兵馬俑展のW・Gチーフを務めたのが、当ブログではおなじみのこの方、川村佳男主任研究員です。
事前調査隊の川村佳男隊長。専門は東洋考古です。
では、川村隊長がゆく!兵馬俑展事前調査の旅。
はじまりはじまり。
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1月×日 1日目
朝9時にホテルを出発です。商洛(しょうらく)博物館から調査をスタート。出品予定の作品について撮影、点検、採寸を実施します。
採寸はこのような器具で行います。お借りする大切な文化財をいためることのないよう、適切な展示方法の検討のために重要な調査です
1月◇日 2日目
秦始皇帝陵博物院へ。いよいよ兵馬俑と対面。隊長も気合十分。ご覧のとおり、スーツにネクタイを着用。・・・調査なのに・・・なぜスーツ?
それは、途中から出品作品リストの最終交渉に向かうため。
「素晴らしい作品をお借りできるよう、しっかりと交渉してきます!」
1月■日 3日目
昨日の交渉で驚くべき成果がありました。「貴重な兵馬俑を追加で出品いただけそうです」。一同、大拍手。
ただ、外は雪景色。この日の調査は極寒の状況下。さらに、雪の影響で高速道路が封鎖。翌日の予定は断念せざるをえなく…。隊長は突然の計画変更で段取りに大忙し。
一面の雪景色に心なしか不安な面持ちの隊長
雪に負けてたまるか! スタミナをつけるため、生ニンニクをかじります
1月△日 4日目
天候回復! 本日のミッションは、昨日東京の本部から指示があった「封泥の調査」。
西安中国書法藝術博物館での展示を見学。
現地の様子を来館者目線で確認し、展示のイメージを膨らませます
○月◎日 5日目
再び秦始皇帝陵博物院へ。2日目には時間の都合上訪れることができなかった、博物院隣の始皇帝陵や、兵馬俑坑を見学。
兵馬俑がずらりと並ぶ姿はやはり圧巻! 展覧会会場でこのスケール感をどう表現するか、隊長の知恵の絞りどころ。
○月☆日 6日目
西安から飛行機で北京へ。北京大学サックラー考古芸術博物館で、最新の発掘成果展を視察。偶然にも展覧会を企画した北京大学の教授と会場でお会いすることができました。
「西戎(せいじゅう)」と秦との関わりは今回の特別展でも重要なポイントの一つ
________________________________________ どうだったかな? トーハクくん!
わ、タイチョー!
特別展開催までには長い準備期間が必要。今回も約2年間をかけて様々な準備を行ってきたんだよ。
ほー!展示にはタイチョーの思いが詰まっているんだほ!よーし!もう一回みにいってくるほー!
綿密な事前調査のもとでつくられる特別展「始皇帝と大兵馬俑」。
年内は12月23日まで、年末年始のお休みを挟み、2016年は1月2日から2月21日まで開催です。
ニンニクをかじって頑張った川村隊長や他の隊員たちの汗と涙の結晶を、お見逃しのないよう、ぜひ足をお運びください!
特集「顔真卿と唐時代の書」の見どころ(2)
このたびの東博&書道博の連携企画では、ブログも連携!怒涛の3連発で唐時代の書を一気に盛り上げたいと思います。先発の六人部投手には、展覧会の全体像を語ってもらいました。中継ぎの私はピンポイントで、東アジアの中でも最も美しい唐時代の肉筆に触れたいと思います。
唐時代における伝世の肉筆は、数えるほどしか残されていません。しかし20世紀初頭、イギリス、フランス、ロシア、日本などの探検隊によって、5~10世紀に至る肉筆写本が敦煌莫高窟の第17窟から大量に発見されました。
その敦煌写本の中に、7世紀後半のごく限られた時期に書かれた「長安宮廷写経」と称される写経があります。それは唐の高宗の時代、咸亨2年(671)から儀鳳2年(677)にかけて書写されたもので、筆致、紙、墨、どれをとっても非の打ちどころのない、実に見事な写経です。現在、奥書きに年号を持つ長安宮廷写経として、国外では大英図書館所蔵のスタインコレクションに17件、フランス国立図書館所蔵のペリオコレクションに2件、北京図書館に2件、そして国内では三井記念美術館に2件、京都国立博物館に1件の、都合24件が確認されていますが、おそらく現存する敦煌文書を調べても30件ほどしか存在しない、大変貴重な写経です。
長安宮廷写経の料紙は薄くて丈夫、そして滑らかです。紙の厚さ…いや、薄さでしょうか、約0.01mmで、漉きむらがほとんどありません。仔細に見ると、簀目の数も他の写経の紙に比べて本数が多く、手の込んだ極上の麻紙であることがわかります。写経を巻くときには、パリパリッと、張りのある心地よい紙音がします。また5世紀から10世紀の写本は、1紙の長さが約35~55cmとばらつきがあり、1紙に書かれている行数も約20~40行と幅がありますが、長安宮廷写経は、1紙の長さがどれも47cm前後、1紙に書かれている行数はすべて31行という、特別な書式をとっています。
そして、なんといっても長安宮廷写経の魅力は、その完璧なまでのプロポーションを持つ字姿です。書写した写経生は、皇帝が設けた書法教授の場である弘文館で学んだ超エリートたちでした。その筆致は麗しく雅であり、伸びやかさと艶やかさとが兼ね備わった張りのある褚遂良の特徴も盛り込まれ、美しさを追求した唐時代の楷書表現が極限にまで達していることがうかがえます。
(左)妙法蓮華経巻第二 唐時代・上元2年(675) 三井記念美術館蔵
東京国立博物館で12月23日(水・祝) まで展示
(右)妙法蓮華経巻第三残巻 唐時代・上元2年(675) 京都国立博物館蔵
台東区立書道博物館で12月27日(日) まで展示
高宗に次いで則天武后の時代もまた、長安宮廷写経の水準を保つ見事な書きぶりです。則天武后が制定した、則天文字とよばれる特異な文字がところどころに使われています。長安宮廷写経とともに、唐の文化の華やかさを存分に盛り込んだ、中国書法史における最高レベルの肉筆資料といえるでしょう。
(左)則天武后時写経残巻 唐時代・8世紀 台東区立書道博物館蔵
台東区立書道博物館で12月27日(日) まで展示
(右)重要文化財 大方広仏華厳経巻第八 唐時代・8世紀 京都国立博物館蔵
東京国立博物館で1月2日(土) ~31日(日) まで展示
これほどの美しい写経、実は南朝の陳時代にその兆しがありました。ペリオコレクションにある陳時代の写経は、やさしいやわらかさが特徴で、高貴な雰囲気を醸し出しています。しかし、宮廷写経のような張りのある艶やかさが生まれたのは、やはり南北融合があったからでしょう。南朝と北朝それぞれの美しさがうまくブレンドされたことによって、宮廷写経の美は最高潮に達したのです。
さて、「顔真卿と唐時代の書」連携ブログ3連発、フィナーレを飾る抑え投手は一体誰なのか!? 乞うご期待っ!
関連事業
【東京国立博物館】
・連携講演会「顔真卿と唐時代の書 ものがたり」
2016年1月16日(土) 13:30~15:00 平成館大講堂
【台東区立書道博物館】
・ギャラリートーク「顔真卿と唐時代の書」
・ワークショップ「美しい楷書に挑戦!」
詳細は台東区立書道博物館ウェブサイトへ
新春恒例! 博物館に初もうで
新春恒例となりました、「博物館に初もうで」(2016年1月2日(土)~31日(日))。
2016年のお正月で13回目となり、干支も2巡目に突入です。
毎年多くのお客様で賑わいをみせる1月2日(土)、3日(日)は、お正月気分を味わえる獅子舞、和太鼓、曲独楽やコンサートなどイベントも盛りだくさん。


また、2日(土)、3日(日)は、お年玉・プレゼント企画も。
1.ミュージアムショップでは2,000円以上お買い上げのお客様、先着600名様にミュージアムグッズをプレゼント。美術図書バーゲンセールも同時開催。
2.TNM&TOPPANミュージアムシアターでは、「伊能忠敬の日本図」を無料上演。
3.レストランゆりの木では、ご利用のお客様先着150名様に伊予の水引の箸置きをプレゼント。
4.寛永寺との連携企画もあります。
根本中堂、徳川歴代将軍の肖像画(油画)、四天王像(江戸時代・元和6年(1620) 台東区登録文化財)、十二神将像(江戸時代・元禄15年(1702))を特別公開する寛永寺では、当館観覧券の半券(当日分)の提示で散華をいただくことができます。
新春特別公開では、もはやお正月の風物詩ともいえる国宝「松林図屏風」(本館2室、1月2日(土)~17日(日))のほか、浮世絵の展示室では葛飾北斎づくし。名品「冨嶽三十六景」のうち「凱風快晴」「山下白雨」「神奈川沖浪裏」の三役が揃い踏みする貴重な機会です。
左から、凱風快晴、山下白雨、神奈川県沖浪裏
葛飾北斎筆 江戸時代・19世紀
本館10室(浮世絵)にて2016年1月2日(土)~1月17日(日)まで展示
そして、こちらも恒例、干支の展示。
2016年は「博物館に初もうで 猿の楽園」(本館特別1室・特別2室、1月2日(土)~31日(日))と銘打ち、トーハク所蔵のかわいらしいおサルさんたちの作品を展示します。
この特集に関連し、本館特別1室では先着1万名様にカレンダー付ワークシート「キミはなに猿?&狩野山雪の猿カレンダー」を配布します。2日(土)、3日(日)は、おサルのスタンプコーナーも設置。自分だけのオリジナルワークシートを作ることができます。
ワークシートの裏面が狩野山雪のかわいい猿のカレンダーになっています
WEBサイトでは、「トーハクの猿ベスト12」の人気投票が始まっています。
こちらでお気に入りの猿を見つけて、お正月は展示室でぜひ実物をご覧ください!
そのほか、松竹梅や鶴など吉祥モチーフの作品もたくさん。
もちろん、特別展「始皇帝と大兵馬俑」も大好評開催中です!
お正月に兵馬俑(レプリカ)と記念撮影はいかがですか?
新年のお出かけ初めはぜひ、トーハクへ!
2015年もありがほー!
2015年もあっというまに大晦日。
今年もトーハクの一年を振り返ってみましょう。1月は2日(金)から開館! 恒例の「博物館に初もうで」。黒田記念館もリニューアルオープンしたほ。
1月14日(水)からは2つの特別展も始まりました。
「みちのくの仏像」と「3.11大津波と文化財の再生」。
東日本大震災から4年がたち、東北の魅力に触れていただくことや、被災文化財の再生への取り組みを通して、復興の一助に、との願いから開催されたものです。
東北の慈愛に満ちた仏さまの姿と、津波で被害にあったリードオルガンや実習船かもめなどの展示が印象的だったわね。2月は、1年半に及ぶ修理を終えた国宝「檜図屏風」がお披露目されたほ!
生まれ変わってキラキラしてたほー。3月は恒例の「博物館でお花見を」。夜桜ライトアップやイベントも盛りだくさんだったわね。
表慶館では特別展「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏 仏教美術の源流」も開催されました。4月は平成館リニューアル後の杮落とし、特別展「鳥獣戯画─京都 高山寺の至宝─」がはじまったほ。
かわいい動物たちを目当てに、多くのお客様にお越しいただいたんだほ。多くのお客様といえば…。
5月は刀剣ブーム到来。国宝「太刀 三条宗近(名物 三日月宗近)」の展示室には、記念撮影をする"刀剣女子"の方々が列をなしました。刀剣に負けていられない! 6月は円山応挙「朝顔狗子図杉戸」のかわいいワンコが人気だったほー。
7月は「クレオパトラとエジプトの王妃展」が開幕。8月にかけて夏休みは「親と子のギャラリー ミイラとエジプトの神々」と合わせてエジプト三昧でした。
また、トーハク初の試み「キッズデー」を開催しました。お子様連れのお客様にゆったり展覧会を楽しんでいただきました。9月に入ると、「アート オブ ブルガリ 130年にわたるイタリアの美の至宝」がはじまったほ。美しい宝石にユリノキちゃんもうっとりしてたほ~。
「博物館でアジアの旅」も2年目を迎えたほ!10月2日(金)、3日(土)は、昨年大好評だった「博物館で野外シネマ」を開催。今年は「銀河鉄道の夜」をお楽しみいただきました。
10月27日(火)からは特別展「始皇帝と大兵馬俑」が始まりましたね。こちらは年明け2月21日(日)まで続きます!ちょっと! 10月14日(水)に考古展示室がリニューアルオープンしたことを忘れないでほ!
ぼくの仲間の埴輪さんたちや土偶せんぱいもより見やすくなったんだほ!! ミュージアムショップでは「はにわソックス」が”爆売れ”したんだほ!!!トーハクくんは広報大使だったわね。私はリニューアルしてからはまだ連れて行ってもらってなかったから…(ブツブツ)
はっ!広報大使の仕事が忙しくて肝心のユリノキちゃんを案内していなかったかも…。
さて、新年も1月2日(土)から開館します。恒例の「博物館で初もうで」(~1月31日(日))でお楽しみください!
新春特別公開(1月2日(土)~17日(日))では、おなじみの「松林図屏風」のほか、葛飾北斎筆「冨嶽三十六景」から、「凱風快晴」「山下白雨」「神奈川沖浪裏」の"三役"がそろう貴重な機会。お見逃しなく!今年も一年、お世話になりました。
2016年も、トーハクをよろしくお願いいたします!
2016年 新年のご挨拶
明けましておめでとうございます。
平成28年、2016の新年を、皆様とともに寿ぎたいと思います。
新年の初頭を飾ってきた、東京国立博物館の恒例企画「博物館で初もうで」は、今回でじつに13回目を迎えます。12年前の申(さる)年から始まったこの企画も、本年で2巡目に入ることとなりました。例年たくさんのお客様にご来館いただき、新春らしい賑わいを見せております。
今回も、国宝 松林図屏風(長谷川等伯筆)をはじめ、名品の数々を展示する「新春特別公開」(2016年1月2日(土)~1月17日(日))や、干支(えと)である申(猿)をテーマとする美術工芸品の展示を行います。正月2日・3日には、和太鼓・獅子舞・曲独楽・コンサートなど、イベントも盛りだくさん。トーハクならではのお正月をお楽しみいただけます。
特別展では、前年秋から年をまたいでの「始皇帝と大兵馬俑」が開催中で、たいへん好評をいただいております。また春には「生誕150年 黒田清輝-日本近代絵画の巨匠」、「黄金のアフガニスタン-守りぬかれたシルクロードの秘宝-」が開催予定です。総合文化展では、日本、東洋を代表する作品の数々を広くご紹介するとともに、春の恒例「博物館でお花見を」(3月15日(火)~4月10日(日))など、魅力的な企画を用意し、皆様をお迎えいたします。
皆様にとって、日本の文化や伝統、美術に親しみ、楽しんでいただける博物館となるべく、いっそう努めてまいります。
本年もトーハクをよろしくお願いします。
館長 銭谷眞美
「始皇帝と大兵馬俑」研究員のオススメ1
「将軍俑」~上司にしたいNo.1兵馬俑~
新年あけましておめでとうございます。
さて、好評開催中の特別展「始皇帝と大兵馬俑」の展示作品をご紹介する「担当研究員オススメ」第一弾です。
今回の特別展の見どころはなんと言っても兵馬俑、そのなかから一つ選ぶとすれば、軍団の指揮官である将軍俑を推さざるをえませんね(俑とはお墓に供えるために作られた人形のことです、念のため)。
将軍俑
秦時代・前3世紀
秦始皇帝陵博物院蔵
将軍俑の鎧に付けられた房飾り
優美な形の冠をかぶり、冠の顎紐の飾りは胸元まで垂れています。
鎧の前後にリボン状の房飾りが8個も付いています。
こうした装飾は他の兵士の俑には見られず、格の違いが明らかです。
特に注目いただきたいのが鎧の札(さね)。
他の兵士が着る鎧の札は大振りで太い紐でつづられているのに対し、この俑の鎧の札は小さく、細い紐で丁寧につづられています。
近年の中国考古学の調査研究成果からすれば、兵士が着た鎧は当時一般的であった革製であり、この俑が着ている鎧は鉄製の鎧と考えられます。
当時鉄製の鎧は大変高価で、ごく一部の高級武官しか身につけることができなかったと思われます。
こうしたことから、この俑は「将軍俑」と呼ばれているのです。
自信に満ちた顔、たくましい両腕は、まさに百戦錬磨の武将を思わせます。
そのお顔から、平時は部下思いのやさしい上司、戦時には苦戦もいとわぬ猛将であったように私には思われるのですが、皆様はどう思われますか?
始皇帝陵の兵馬俑はまだ全部掘りだされてはいませんが、総数は8000体ほどと推定されています。
ところが、この俑と同様のいでたちの俑はすでに10体ほど発見されています。
単純に計算すると、このような俑が指揮したのは800人程度であり、それでは将軍と呼べないのではないかという疑問が生じます。
8000人を指揮する本当の将軍俑がまだどこかに埋もれている可能性はあります。
一方、兵馬俑の軍団は、実戦部隊そのものではなく儀式のために臨時に組まれたオールスター編成であった可能性も考えられます。
それなら、将軍が何人いてもおかしくありません。
私は後者の可能性が高いと考えています。
さて始皇帝の生涯を記した歴史書『史記』には、何人もの将軍が登場します。
蒙驁(もうごう)、麃公(ひょうこう)、王騎(おうき)、王翦(おうせん)…「あれ」と思った方は、原泰久氏の人気コミック『キングダム』(集英社『ヤングジャンプ』で連載中)の読者でしょう。
そう、『キングダム』に登場する秦の将軍は、ほとんどが歴史書に名が記録された実在の人物です。
これ以上、名を挙げるとネタバレになるので控えます。
ともあれ、この将軍俑のモデルは、歴史書や人気漫画に登場する人物であった可能性を否定することはできません。
この俑はだれかと想像しながら展覧会をご覧いただくのも、楽しいものです。
1月20日(水)~22日(金)の3日間、毎日15時から平成館大講堂で「キングダムからみた兵馬俑の世界」と題した、トークイベントを開催します。
兵馬俑ファンの方も『キングダム』ファンの方も、皆様お楽しみいただける内容ですので、ご参加をお待ちしております。
ほほ笑みのお猿 山雪の猿猴図
なんとも愛くるしいおサルさん。ニッコリほほ笑んだ顔がたまりませんね。
2016年1月2日開幕の特集「博物館に初もうで 猿の楽園」で本格デビューした「当館秘蔵のアイドル」です。
猿猴図(えんこうず) 狩野山雪(かのうさんせつ)筆
江戸時代・17世紀
2015年7月16日付の1089ブログに、私は「応挙の子犬に胸キュン!」と題して当館所蔵の愛らしい子犬の絵をとりあげ、「無邪気に遊ぶ姿はカワイさ全開!当館のアイドル、ナンバー1(犬だけにワン!)」と書きました。
「犬」の次は「猿」。負けないくらいに、かわいい絵ですね。このおサルさんと応挙の子犬が出会ったら、きっとすぐ仲良しになって、いつまでも楽しく遊びつづけるのではないでしょうか。「犬猿の仲」なんていいますが、この子らに限っては違うようです。
じつは、このおサルさん「猿猴図」は、2013年の春、京都国立博物館で私が企画担当した「狩野山楽・山雪」展のなかで、狩野山雪の魅力的な作品として紹介した作品でもあります。狩野山雪(1590~1651)は、今から400年前、江戸初期に活躍した京都の狩野派の画家。個性的な画風が高く評価される注目の画家です。ニューヨークのメトロポリタン美術館の「老梅図襖」や重要文化財の「雪汀水禽図屏風」をはじめ数々の魅力あふれる作品をのこしました。
「猿猴図」の話に戻りましょう。描かれているのは、柏の樹の幹に腰掛け、水に映る月をとろうとする手長猿。長く垂らした右腕の下には、くるくると水面の渦巻きが描かれています。じつはこの絵、猿猴捉月(えんこうそくげつ)すなわち、猿が水中に映った月を取ろうとして溺死したという、仏教の摩訶僧祇律(まかそうぎりつ)の故事から、身のほどをわきまえず、能力以上の事を試みて失敗することのたとえとなった話が主題なのです。
でも、そんな皮肉な意味はどうでもよいと思えるほど、猿の表情は、とても愛くるしいものです。この種、手長猿の絵は、中国南宋時代末から元時代初(13世紀)の牧溪筆「観音・猿鶴図」三幅対(京都・大徳寺蔵、国宝)に描かれた母子猿が源流にあり、それを学んだ長谷川等伯をはじめ多くの日本の画家たちによって描かれました。けれども、これほど愛くるしい猿図があったでしょうか。元々、牧溪の猿図には、枯木にとまり寒さに耐えて身を寄せ合う母子、という厳しい意味があったのですが、山雪のこの絵には、そんな暗さは微塵もありません。
かわいいだけではありません。猿のふわふわとした毛並み(これもかわいさの要因ですが)の描き方に注目すると、淡い墨および中位の濃さの墨が和紙に浸透していくのを絶妙にコントロールし、そこに生まれたにじみによって、密集する毛のふくらみを見事に表わしています。そして、墨の微妙な濃淡のむらむら、わずかにみえる筆の勢いによって、胴と右膝、長く伸ばした左脚の自然なつながりが的確に映し出されています。最も濃い墨で描かれるのは、顔の真ん中にあつまる目鼻口と両耳、手足の指。手足の描写は、意外にリアルです。
画面構成をみてみましょう。柏の大きな葉から枝を通って幹に腰掛ける猿の身体、そしてわずかに湾曲しながら垂れる長い右腕、その先に水面の渦巻き、という具合に私たちの眼は、逆S字の動線に沿って上から下へとスムーズに導かれます。猿の頭部と膝は、単純化された楕円形。渦巻きも含めて、同じ形がシンクロし軽快なリズムを刻んでいます。対象を、ある種、幾何学的な形へと単純化し画面を構成している点は、山雪らしさの表われなのです。
簡略ながらも、絶妙なテクニックによって描き出された猿。かわいくて、うまい。いや、かわいさは高度な技術に支えられているというべきでしょう。実力派山雪の面目躍如といってよい絵。こんな素敵な絵が、400年も前に描かれていたのです。
詳細については省きますが、山雪の生涯は順風とはいえず、むしろ苦労の連続でした。このため、これまでの研究では、厳しさや苦しみ、哀しみといったものを、山雪の絵のなかに見出そうとしがちでした。けれども、こんな明るく幸せそうな絵があったのです。本当に、ほっとする。まさに癒し系の絵画。厳しさだけの山雪イメージは、もはや修正されるべきでしょう。
なお、この作品は、旧東海道の原宿(現在の静岡県沼津市)の名家、植松家に伝来していました(1978年に同家より東京国立博物館に寄贈)。そして箱書および植松季英自筆の由来書から、季英が天明2年(1782)に京に上った際、京都・妙心寺の塔頭、海福院の住職である斯経禅師より譲りうけた経緯が判明します。
植松季英は植松家第六代の蘭渓のことで、名園として知られた「帯笑園」の園主。池大雅・円山応挙・皆川淇園ら京の画家・文人たちと親しく交わり、子の季興を応挙に入門させ、季興は応令と号しました。斯経慧梁は、白隠の法を継いだ禅僧で、妙心寺の塔頭、海福院の第二代住職。原の白隠に参禅する際には植松家に投宿するほど親しい交流があったといいます。
由来書によると、この絵は元々、京都・妙心寺塔頭の海福院にあったのでした。妙心寺は、山雪ととくにゆかりの深い天球院・天祥院などの塔頭のある寺でしたので、山雪の絵が海福院にもたらされることは充分あり得たでしょう。
すばらしい水墨の技術を駆使して描き出された、すぐれて可愛い猿の絵、この満面の笑顔に会いに来ませんか? そうすればきっと、幸せな気持ちになれるはずです。展示は2016年1月31日まで。どうかお見逃しのないように。
「博物館に初もうで 猿の楽園」2016年1月2日(土)~1月31日(日) 本館特別1室・特別2室
「トーハクの猿ベスト12」1月31日(日) まで投票受付中!
特別展「始皇帝と大兵馬俑」30万人達成!
多くのお客様にお越しいただきましたこと、心より御礼申し上げます。
記念すべき30万人目のお客様は、神奈川県横浜市よりお越しの小林良樹さん。
奥様と一緒に、ご来館くださいました。
小林さんには、東京国立博物館 副館長 松本伸之より、記念品として特別展図録や兵馬俑をかたどったチョコレートなどを贈呈しました。

特別展「始皇帝と大兵馬俑」30万人セレモニー
左から小林良樹さん、奥様の啓子さん、副館長の松本伸之
1月14日(木) 平成館エントランスにて

平成館ラウンジに設置された「キングダム」撮影コーナーで記念撮影
「歴史に詳しいわけではないけど、そんなにたくさんの兵馬俑を作らせたなんて、きっと始皇帝の権力は絶大だったんですね」と、権力者としての始皇帝への興味を語ってくださいました。
お二人ともまだ現地に行ったことがないそうです。
中国に行ってみたいという奥様のご希望もあるので、展覧会をご覧になって興味が一層深まるようでしたら、ぜひ本物の兵馬俑坑もお訪ねください。
特別展「始皇帝と大兵馬俑」は閉幕まで1ヵ月ちょっと。
会場では、圧倒的な兵馬俑の世界が広がっています。
どうぞお見逃しのないように、皆様のご来館を心よりお待ちしております。
「始皇帝と大兵馬俑」の展示
「作品をどう見せるのか?」という視点から特別展「始皇帝と大兵馬俑」を見てみましょう。
会場入口に一歩足を踏み入れると「始皇帝」「兵馬俑」の大きな文字と兵馬俑の映像で迎えてくれます。
1室は「第Ⅰ章 秦王朝の軌跡」、「第Ⅱ章 秦王朝の実像」のテーマで器物や考古遺物を1点1点丁寧にご覧いただけます。
中でも「4.玉胸飾り」「6.龍文透彫玉佩(りゅうもんすかしぼりぎょくはい)」「40.玉剣・金剣鞘」「28.金銀象嵌提梁壺(きんぎんぞうがんていりょうこ)」「57-61.封泥(ふうでい)」の展示は作品の細かな部分もよく鑑賞できるようさまざまな工夫が施されています。
(1) (2) (3)
(4) (5)
(1)傾斜した台に固定され首にぶら下げた状態が想像できます
(2)マウントを用いて玉を浮かせて展示しているため玉の装飾とフォルムが際立っています
(3)マウントを用いて鞘と刀を垂直に展示し、透かし彫りの様子が360度鑑賞できます
(4)有機ELパネルを用いた再審の下部照明により壺のすぼまっている部分が暗くならずに鑑賞できています
(5)なめるように照らされた光により文字が浮かび上がっています
2室では、映像展示を用いた秦国、始皇帝の世界を分かりやすく解説しています。
つづいて、3室から始まる「第Ⅲ章 始皇帝が夢見た「永遠の世界」」は、現代アートを展示するかのような真っ白な展示室が作られています。「銅車馬(複製)」の緻密に作り上げられた造形が、圧倒的な存在感を放って展示されています。
展示室全体を「白色」で構成することで空間に浮遊感が生まれ「銅車馬」が宇宙船のようにも感じられます。
最後に 4室「兵馬俑」の展示室へは1度スロープをあがります。
上がると、まるで兵馬俑坑を再現したような展示空間が広がり、上から10体の兵馬俑を眺めることができます。
さらにスロープを下るとさまざまなポーズをとった兵馬俑を360度ぐるりと見て回れます。
特に順路が決められているわけではありませんので、自分の好きな作品を何度でも見られます。
また、兵馬俑は1つの展示室の中に曼荼羅のように展示する方法を用いたため、さまざまな位置から個々の作品を比べて見ることも出きるようになっています。
特別展「始皇帝と大兵馬俑」は、作品の持つ個性を最大限に引き出せるよう、それぞれに合った展示方法を用いてその世界観を提示しています。
展覧会の担当研究員や展示デザイナーをはじめ関係者の思いのこもった展覧会へ是非1度足を運んでみてはいかがでしょうか。
(展示設計・施工:東京スタデオ)